Samurai Suupaa Chat ベースTAB

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後日コメントは追加します。

Emly likes tennisのコピバン大募集。

6/10(土)にギグがあります。

ミーツの15周年。バンドも15周年らしいですが、私は加入して9年か10年なので、2/3くらい周年です。

たたらの目

テコの原理

ゲスバンド

SPOILMANと対バンです。

濃いです。

Unite the Associations Bass TAB譜

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最近できた協会を統一するUnite the AssociationsのベースTAB譜です。

Emily likes tennisのコピバンを観るのが将来の夢です。だからベースTAB譜を書きます。

書くと客観的に分析できてすごくすごいです。弾くより書く方が何倍も時間がかかって無駄ですけど。

 

後日コメント書きます。 赦

 

続・Emily likes tennisの思い出

 続き
 ベースは、しばらく前からエンリケの1つ後輩のIZMというやつがやっていた。IZMは性格がねじまがっているやつが集まるロック研究会の中でも輪をかけて性格がねじ曲がっているやつで、とにかくリア充と言われている人間に対してのヘイト心は人一倍強かった。楽器はほぼ素人同然でロック研究会に入ってきたが、音楽の趣味に関してはきちんとしており、ジャーマンプログレだったり、俺のよく知らない深いジャンルにまで精通して、Emily likes tennisの曲をポリリズムにしたり変拍子にしたり複雑にしたのはIZMの趣向である部分が強かったと想像する。。どういう経緯で作ったかわからないが、「かわいそうなぞう」はIZMガいたからこそできたような、ポリリズム構成である。彼のベースの腕もみるみる成長していき、きちんとプログレッシブなものを演奏できるくらいに成長していた。
 ドラムはいまではT-DRAGONと名乗る奴が加入した。エンリケにさらに輪をかけて全然喋らないやつで、T-DRAGONと初めて会話したのは、T-DRAGONと初めて会ってから1年以上は空いていたと思う。俺も今と違って、無作為に人とコミュニケーションをとるような人間ではなかったし、そもそもヘロイン状態のジョンフルシアンテに自己投影するような人間であったので、こちらから気を使って会話をするみたいなこともなかった。今ではエンリケもT-DRAGONも良くしゃべる。自己表現というのは生まれ持った性格もあるが、人生のうちに習得していくもんだということ感じる。しゃべる方が正しいとは思わないが、本人たちはしゃべってないときよりしゃべっているときの方が楽しそうに見える。T-DRAGONが入るまでは、ドラムが頻繁に変わっていた。謎のクロアチア人もいた。T-DRAGONになってからは明らかにビートが強くなっていた。リズム感だったり、リズムキープだったり、ボトムを支えたりというのは当時はドラムの癖に全く意識してないんじゃないかと思うほど荒れ狂っていたが、とにかく手数が多く、その一打一打が攻撃的で頻度も高かった。この世に対する恨みや憎しみをすべてタムやスネアに打ち込めているかのようだった。周りの演奏に合わせるなんて意識がこれっぽちも感じられないような雰囲気でそれが逆にバンドのビートをぐいぐい引っ張っていくようだった。そして彼は楽譜なりリズムでドラムを叩いているのではなく、数学的に、回数の組み合わせで叩いているかのようだった。今でもT-DRAGONとドラムなどのフレーズを考えるときは数字が出てくることが多い。当時は全くもって粗削りであったが、この手数と強さのまま上達していったらどんなドラマーになるのか楽しみに感じた。
 ボーカルというかパフォーマーとして、ビーストと今では名乗る奴が加入した。彼は完全に異彩を放っていた。初めてビーストと会ったのは、別の後輩たちといきなりビーストの家に押しかけていった時だった。何をしに行ったのかは覚えていないが、彼は初めて会った俺に対しても一生懸命、当時はまっていたももクロについて熱弁し、ももクロのビデオを一緒に見た。ライブで見た彼は、全く歌わず、時折叫び、時折よくわからないことを言ったり、マラカスを振ったり、変な決めポーズをしていた。鳥の恰好などもしていたかもしれない。天然パーマ、濃厚な顔面、マラカス。完全にセドリックだった。
 この4人になってから、バンドは安定し始め、東京にも頻繁にライブをしにいくようになっていた。俺はEmily likes tennisのライブに行ける日は通うようになった。後輩がこんなかっこいいバンドをやっているのは嬉しかったし、もう自分はバンドなんかやらんでいいか、とか思っていた。ライブ後にエンリケとバンドについてこうしたらいいんじゃないか、とか、練習しろとか偉そうなことを言っていた。
 バンドやらんでいいか、といいつつ、やっぱりバンドやりたいと思っていりもしたので、My Spaceだったかでメンバー募集をしているバンドに応募してみた。2つほどバンドをやった。どっちも長くは続かなかったが、少しいい思い出である。
 そうしていながら、相反するように俺の社会不適合はどんどん加速していき、完全ニート状態まで陥った。Emily likes tennisのライブも見に行かなくなった。たまにエンリケと連絡をとったりはしていた。Emily likes tennisのベースが就職のため脱退した。その時にエンリケから「飯田さん、一緒にバンドやりませんか?」と誘われた。その時は断った。完全ニート状態だったのと、まだエンリケが俺に気を使っていたのがわかっていたので、先輩後輩の関係だとうまくバンドもできんだろうと思った。
 エンリケは新しい新入生のベースを加入させた。そうしたらエンリケからの連絡は頻度が上がっていた。そういえば、このころエンリケは新社会人2年目くらいで、激太りしていた。初めて見たときの2倍くらいのサイズになっていた。新しいベースになったEmily likes tennisのライブは1回も見なかったのだが、エンリケからの情報によると、めちゃくちゃやばい奴だった。酔わないと発声しない、ベースは弾かないで叩く、みんなで帰っているのに一人はぐれて翌日発見されるなど。のちのち知り合ったバンドに人たちからも「前のベースはやばかったよ」と言われまくった。なにがあったのか、目撃してないのでわからないがとにかくやばかったことはエンリケが「飯田さん、準備お願いします。本当に頼むかもしれません」と言われた。
 冬になっていたのかどうかは忘れた。記憶というものは曖昧である。どういうきっかけか忘れてしまったが、ベースがライブに出れないということで、急遽秋葉原の年末かなにかのライブで代打でベースを弾くことになった。ビーストもいなかった。おそらく帰省だろう。そんなわけで、エンリケとT-DRAGONと俺、そしてゲストボーカルでO森S子とOtoriのコバラさんがやるみたいな、当時でも今でもよくわからない編成で、Emily likes tennisに参加することになった。俺にとってはリハビリみたいなものだった。
 どうやらライブは上々だったみたいで、エンリケからは感謝されつつ「いつまた頼むかわかりません」と言われた。俺も気分は良かった。
 そこから数か月した。エンリケから連絡があった。ベースを脱退させた。今度こそお願いします。と。俺も今度は数か月前にやったライブでバンドの手ごたえもあったし、今度は「やろう」と返事をした。エンリケもT-DRAGONもまだネズミーハウスに住んでいたころの話だ。バンドをやる前は「飯田さんはいい人なんですけど」と言っていたエンリケも、一緒にバンドを始めてからは「飯田さんの、ベースだけは信用してます」に格下げされた。
 そこから、「しばらくはバンドを手伝ってやって、良いベースが見つかったらそいつと最高のEmily likes  tennisを築いていってくれ」、と思ったが、気づけばずるずる2022年になっていた。どうやら俺はEmily likes tennisでバンドをやるのが楽しかったらしい。
 この頃は掃き溜めに巣食う蝿の様な生活をしていたが、そこからEmily likes tennisを通してもいろいろ出会いがあり、人生、意外となんとかなって進んでいくし、生きていけるんだなと感じた。あまり思い出したくもないことばかりかと思ったが、いい思い出もあったりして、たまに思い出すのもいいなあと思いました。「バンドなんかやってフラフラしてダメになるぞ」とかバンドマンは言われがちですが、「バンドでもしてないともっとダメになる奴がバンドをやってるだけで、そんな奴がバンドを辞めても、決してまともにはならないので、バンドをやった方が人生楽しい」と思います。チャンチャン。

Emily likes tennisの思い出

Emily likes tennisに加入したのは確か2013年の春あたりだったと思う。もう9年も経つのかと思うと感慨深い。少しそのころのあたりを思い出してみたい。
 もともとEmily likes tennisは、2008年だったかにギターのエンリケ後悔王子(以下エンリケ)が大学のロック研究会に入ってきて少しして結成したバンドで、最初は3人でギター、ドラム、フルートという編成で活動していたと思う。エンリケは3年後に入学してきたと思うので、たしかおれは4年生だったと思う。エンリケマイ・ブラッディ・ヴァレンタインが大好きで、そんな変な編成のバンドでマイブラをコピーしていたものだし、俺はマイブラをきちんと聞いてきたことがなかったから、「なんか変なことやってる1年がいるぞ」と思っていた。エンリケは、当初は今より半分くらいスリムで、もっと根暗で、今と同じように人の目を見て話さない癖があった。野球好きなのは変わらない。
 大学4年生にとって大学1年生というのは、恰好のかわいがりの対象で、1年生は10人くらいいて、この年の1年生はギラギラしてる奴が多い中、圧倒的にエンリケが根暗であったため、俺たちの代のいじりの対象はたいていエンリケだった。特に俺と一緒にバンドやっていた松原というやつと、1つ上の院生の恥骨のOKが、特にエンリケに対してかわいがりを行っていた。エンリケは放送研究会にも所属しており、松原も放送研究会なので、とくに松原のエンリケに対するいじりは今となってはいい思い出には全くならない。
 松原は、俺と飲みに行ったりすると、電話でエンリケを呼び出したり、部室で文章に書けないような内容の質問攻めをしたり、真面目に音楽の話をしたりしていた。
 俺はというと、そのころ完全に鬱の廃人大学生をしており、単位が全くとれないのに出席もせず、就活もなんとなくしてみたりして、周りがどんどん卒業や就職に向かって進んでいるのに、一人取り残されて沼にはまった状態で、現実を忘れるために毎日のように部室でゲームをやって寝泊りしていた迷惑な先輩であった。
 たいていの後輩は俺をうっとうしい先輩だと思っていただろうが、エンリケは、最初は全然話もしなかったが、俺のバンドがいいとかだったり、俺もこいつのやってるバンドは全くひどいものだったけど、なんかやりたいことはすごく高尚なものだというのは感じてはいたので、少しずつ音楽の話をしたり、二人とも野球が好きだったので、二人で部室でパワプロをやったりで、だんだんと打ち解けていった。エンリケの好きな音楽は俺が聴いてきた音楽と違うので、エンリケのおすすめのCDを部室で流したりして、テンションが上がったり、全く琴線に触れなかったりなどした。「飯田さんはいい人なんですけどね。あとベースがうまい」が口癖だった。
 ちょっとずつ時は過ぎていき、Emily likes tennisはエンリケを中心にメンバー編成を変えていき、ギター、ベース、ドラムで、ハードコアとシューゲイザープログレを混ぜたようなものをやっていた。やりたいことはかっこいいだろうが、とにかく演奏は糞みたいだった。完全に廃学生になっていた俺は、たまに横浜のEmily likes tennisのライブを見に行き、「エンリケのやりたいことはなんとなくわかる、へたくそだから練習しろ」と常に偉そうなことを言っていた。俺はそのころ、大学をさぼり、就活もさぼり、バイトだけ行き、部室でゲームをして、家で虚無感を抱きながらベースをかきならし、ジョンフルシアンテの1stと2ndを聴きながら、ヘロインも吸っていないのにヘロインを吸ったような破綻した生活を送り、ヘロイン中毒時代のジョンに自分を投影していた。そのうち実家から強制連行されるように実家に戻らされたりした。「どこまで落ちたら人は死ぬんだろうか、むしろ、これでもまだ死ななくて生きてるんだな」といったことを感じながら生きていて、数少ない楽しみは後輩のエンリケがやってるEmily likes tennisが少しずつ、少しずつうまくなっていくのを見ていることだった。
 いつだったか、部室で俺が風来のシレンをやっていると、エンリケが「飯田さん!昨日めっちゃかっこいいバンドと対バンしてCDあるんすけど、聴きましょう!」と多分エンリケ史上最大のテンションで部室に入ってきた。CDをかけたら、1曲10分近くもある、壮大なプログレで、コブシの効いたボーカルのバンドがかかっていた。クウチュウ戦のデモCDだった。俺とエンリケはぶっ飛んだ。部室の周りまで響くくらいデカい音量でかけた。自分のやっているバンドも尻すぼみにやめていき、バンドもできやしない、なにもうまくいかない、みたいな気持ちになっていた俺は「こんなかっけえことやってるバンドがいるなら、やっぱりおれには才能なかったし、もうバンドをやめて真面目に立ち直って普通を目指して生きていこう」と思わされた。後々になって、バンドやって自暴自棄になってる人間はバンドをやめたって自暴自棄は変わらないし、バンドをやって真面目にしっかり生きている人間はたくさんいるので、バンドをやめて真面目に生きるという選択肢は全く的外れだということには気づくが、時間はかかった。
 そうこうしてまた時が進むと、Emily likes tennisは4人編成になっていた。エンリケよりさらに無口で無愛想な眼鏡のドラムと、天然パーマで目の下がこけ、マイケルジャクソンか、ヘロイン時代のジョンフルシアンテかのような風貌のアイドルオタクのボーカル(パフォーマー)が加入していた。俺は完全に鬱状態で実家で引きこもっていたので、4人になってからは半年以上くらい経ってから、学園祭の時のライブを見たんだと思う。サーティーンか、トリプルファイヤーか、太平洋か、ガガキライズか、股下89なのかだれを呼んできた時の学園祭なのかはわからないが、久しぶりに来た学園祭で見たEmily likes tennisは、その外部のバンドに全く引けをとらずに、ものすごくかっこよくなっていて、新しいことをやっていた。まだ演奏に粗いところはあったが、ハードコアとプログレが見事に融合した、まさに保土ヶ谷At the Drive In といえてしまうくらい衝撃を受けた。2011年くらいの話だと思う。     続く