続・Emily likes tennisの思い出

 続き
 ベースは、しばらく前からエンリケの1つ後輩のIZMというやつがやっていた。IZMは性格がねじまがっているやつが集まるロック研究会の中でも輪をかけて性格がねじ曲がっているやつで、とにかくリア充と言われている人間に対してのヘイト心は人一倍強かった。楽器はほぼ素人同然でロック研究会に入ってきたが、音楽の趣味に関してはきちんとしており、ジャーマンプログレだったり、俺のよく知らない深いジャンルにまで精通して、Emily likes tennisの曲をポリリズムにしたり変拍子にしたり複雑にしたのはIZMの趣向である部分が強かったと想像する。。どういう経緯で作ったかわからないが、「かわいそうなぞう」はIZMガいたからこそできたような、ポリリズム構成である。彼のベースの腕もみるみる成長していき、きちんとプログレッシブなものを演奏できるくらいに成長していた。
 ドラムはいまではT-DRAGONと名乗る奴が加入した。エンリケにさらに輪をかけて全然喋らないやつで、T-DRAGONと初めて会話したのは、T-DRAGONと初めて会ってから1年以上は空いていたと思う。俺も今と違って、無作為に人とコミュニケーションをとるような人間ではなかったし、そもそもヘロイン状態のジョンフルシアンテに自己投影するような人間であったので、こちらから気を使って会話をするみたいなこともなかった。今ではエンリケもT-DRAGONも良くしゃべる。自己表現というのは生まれ持った性格もあるが、人生のうちに習得していくもんだということ感じる。しゃべる方が正しいとは思わないが、本人たちはしゃべってないときよりしゃべっているときの方が楽しそうに見える。T-DRAGONが入るまでは、ドラムが頻繁に変わっていた。謎のクロアチア人もいた。T-DRAGONになってからは明らかにビートが強くなっていた。リズム感だったり、リズムキープだったり、ボトムを支えたりというのは当時はドラムの癖に全く意識してないんじゃないかと思うほど荒れ狂っていたが、とにかく手数が多く、その一打一打が攻撃的で頻度も高かった。この世に対する恨みや憎しみをすべてタムやスネアに打ち込めているかのようだった。周りの演奏に合わせるなんて意識がこれっぽちも感じられないような雰囲気でそれが逆にバンドのビートをぐいぐい引っ張っていくようだった。そして彼は楽譜なりリズムでドラムを叩いているのではなく、数学的に、回数の組み合わせで叩いているかのようだった。今でもT-DRAGONとドラムなどのフレーズを考えるときは数字が出てくることが多い。当時は全くもって粗削りであったが、この手数と強さのまま上達していったらどんなドラマーになるのか楽しみに感じた。
 ボーカルというかパフォーマーとして、ビーストと今では名乗る奴が加入した。彼は完全に異彩を放っていた。初めてビーストと会ったのは、別の後輩たちといきなりビーストの家に押しかけていった時だった。何をしに行ったのかは覚えていないが、彼は初めて会った俺に対しても一生懸命、当時はまっていたももクロについて熱弁し、ももクロのビデオを一緒に見た。ライブで見た彼は、全く歌わず、時折叫び、時折よくわからないことを言ったり、マラカスを振ったり、変な決めポーズをしていた。鳥の恰好などもしていたかもしれない。天然パーマ、濃厚な顔面、マラカス。完全にセドリックだった。
 この4人になってから、バンドは安定し始め、東京にも頻繁にライブをしにいくようになっていた。俺はEmily likes tennisのライブに行ける日は通うようになった。後輩がこんなかっこいいバンドをやっているのは嬉しかったし、もう自分はバンドなんかやらんでいいか、とか思っていた。ライブ後にエンリケとバンドについてこうしたらいいんじゃないか、とか、練習しろとか偉そうなことを言っていた。
 バンドやらんでいいか、といいつつ、やっぱりバンドやりたいと思っていりもしたので、My Spaceだったかでメンバー募集をしているバンドに応募してみた。2つほどバンドをやった。どっちも長くは続かなかったが、少しいい思い出である。
 そうしていながら、相反するように俺の社会不適合はどんどん加速していき、完全ニート状態まで陥った。Emily likes tennisのライブも見に行かなくなった。たまにエンリケと連絡をとったりはしていた。Emily likes tennisのベースが就職のため脱退した。その時にエンリケから「飯田さん、一緒にバンドやりませんか?」と誘われた。その時は断った。完全ニート状態だったのと、まだエンリケが俺に気を使っていたのがわかっていたので、先輩後輩の関係だとうまくバンドもできんだろうと思った。
 エンリケは新しい新入生のベースを加入させた。そうしたらエンリケからの連絡は頻度が上がっていた。そういえば、このころエンリケは新社会人2年目くらいで、激太りしていた。初めて見たときの2倍くらいのサイズになっていた。新しいベースになったEmily likes tennisのライブは1回も見なかったのだが、エンリケからの情報によると、めちゃくちゃやばい奴だった。酔わないと発声しない、ベースは弾かないで叩く、みんなで帰っているのに一人はぐれて翌日発見されるなど。のちのち知り合ったバンドに人たちからも「前のベースはやばかったよ」と言われまくった。なにがあったのか、目撃してないのでわからないがとにかくやばかったことはエンリケが「飯田さん、準備お願いします。本当に頼むかもしれません」と言われた。
 冬になっていたのかどうかは忘れた。記憶というものは曖昧である。どういうきっかけか忘れてしまったが、ベースがライブに出れないということで、急遽秋葉原の年末かなにかのライブで代打でベースを弾くことになった。ビーストもいなかった。おそらく帰省だろう。そんなわけで、エンリケとT-DRAGONと俺、そしてゲストボーカルでO森S子とOtoriのコバラさんがやるみたいな、当時でも今でもよくわからない編成で、Emily likes tennisに参加することになった。俺にとってはリハビリみたいなものだった。
 どうやらライブは上々だったみたいで、エンリケからは感謝されつつ「いつまた頼むかわかりません」と言われた。俺も気分は良かった。
 そこから数か月した。エンリケから連絡があった。ベースを脱退させた。今度こそお願いします。と。俺も今度は数か月前にやったライブでバンドの手ごたえもあったし、今度は「やろう」と返事をした。エンリケもT-DRAGONもまだネズミーハウスに住んでいたころの話だ。バンドをやる前は「飯田さんはいい人なんですけど」と言っていたエンリケも、一緒にバンドを始めてからは「飯田さんの、ベースだけは信用してます」に格下げされた。
 そこから、「しばらくはバンドを手伝ってやって、良いベースが見つかったらそいつと最高のEmily likes  tennisを築いていってくれ」、と思ったが、気づけばずるずる2022年になっていた。どうやら俺はEmily likes tennisでバンドをやるのが楽しかったらしい。
 この頃は掃き溜めに巣食う蝿の様な生活をしていたが、そこからEmily likes tennisを通してもいろいろ出会いがあり、人生、意外となんとかなって進んでいくし、生きていけるんだなと感じた。あまり思い出したくもないことばかりかと思ったが、いい思い出もあったりして、たまに思い出すのもいいなあと思いました。「バンドなんかやってフラフラしてダメになるぞ」とかバンドマンは言われがちですが、「バンドでもしてないともっとダメになる奴がバンドをやってるだけで、そんな奴がバンドを辞めても、決してまともにはならないので、バンドをやった方が人生楽しい」と思います。チャンチャン。